縁がある・縁がない
- 明穂 池田
- 10月3日
- 読了時間: 2分
このスタジオをオープンする前、隣のスーパーでビラ配りをしました。
先日初めて体験にきてくださった方は、なんとそのチラシを受け取ってくださっていて
来てくださいました。
「今時、紙ベースなんて良くないよ」
とよく言われますが個人的にビラ配りやポスティングは嫌いじゃないので
昔からよくやってきました。
そんなビラを配ることは、種まきとよく似ているなと思うことが多々あります。
ここでやってますよ、ここにいます、みたいなことを知ってもらうための、種まき。
種をまいたら芽が出てくれるのが理想。
蛇口をひねれば水は出ますが、なかなかそうはいきません。
では芽を出すためには何が必要か。
水・光・気温・環境・育てられ方
様々な条件が必要となってきます。
このように、色々な環境・条件が影響しあい、芽を出すこと
それを仏教では 縁 と呼ぶそうです。
私達はよくこの”縁”という言葉を使います。
縁があった人・なかった人。縁があった場所・なかった場所。
それは、「たまたま、偶然」という言葉でまとまられてしまうことでもあるけれど
色々な条件が重なって起きたこと、出会いだったりする。
ヨガも仏教も
種がまかれたからといってすぐに芽が出るわけではい。
でも芽が出たということは必ず種があった。
と考えます。
日頃の行いや考えを”種まき”として、いい種をまくことを勧め、
もしも思いもよらないところに思いもよらない花が芽を出したとしても
そこには意味があるんだと捉える。
そう思うと
縁があった人・場所って奇跡なのかなとさえ思うここ最近。
縁がなかったなと思うこともあるけど
今は条件が合ってないのかもしれない。
きっと必要なタイミングで必要な芽が出てくるんだと
そう思うことにします。

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